道路レポNo.1
長野県千曲市
2013.5.5 探索
2013.9.29 公開
←千曲川に架かる「冠着橋」。
何の変哲も無い、歩道付きの立派な橋だ。
しかし、渡っていくにつれ・・・
段々と幅が狭まって、最後には
幅3mのトラス橋になってしまう(!)
・・・この驚きの橋を、(前編)で渡ってみた。
両端で竣工年も一致せず・・・いや、それを見なくてもひと目見て奇妙な冠着橋。
その秘密に迫る。
架橋履歴 | 災害/その他備考 | |
昭和33年以前 | 渡船を運行 | |
昭和33(1958)年 | 木造吊り橋(L=74m) |
「かむりき橋」 |
昭和40(1965)年 | 破損(台風24号) | |
昭和41(1966)年 | 流出(台風26号) | |
昭和44(1969)年 |
第一段階(L=106,5m) |
現存最古の部分 |
昭和45(1970)年 | 大雨で河川敷通行不能に | |
昭和47(1972)年 | 第二段階(L=148,8m) | |
昭和49(1974)年 | 県道指定 | |
昭和56(1981)年 | 斜路流出(台風15・16号) | |
昭和57(1982)年 | 第三段階(L=49,6m) | |
昭和58(1983)年 | 斜路流出(台風10号) | |
昭和58(1983)年 | 第四段階(L=49,6m) | |
平成 3(1991)年 | 第五段階(L=117,3m) |
橋梁整備で対岸へ接続 合計471,8m 完成 |
平成26(2014)年 |
新・冠着橋(L=475,3m) <完成予定> |
片側交互通行解消 |
この道を管轄する、千曲建設事務所のホームページ内に、
「冠着橋架設工事について」と題したページがあり、
冠着橋の歴史や、「新」冠着橋についての情報が載っていた。
リンクして終わり・・・というのもアレなので、
それらを参考に、簡単にまとめてみる。
この図が現在の冠着橋“完成”までの年表。
吊り橋の初代が存在し、現在の冠着橋は2代目。
そして、現橋の片側交互通行を解消するべく、
3代目の「冠着橋」を真横へ建設中だ。
平成3(1991)年、「第五段階(L=117,3m)」が完成し、両岸が接続されるまで、冠着橋は千曲川の流れの上を(主に)渡り、
途中の橋の終わりから木製の「斜路」で一旦河川敷に降り、土手を登るという形をとっていた。
河川敷の斜路と道路は、千曲川増水の度に通行止めとなり、時に破壊されてしまった。
復旧の度に少しづつ橋の延長がされ、時代と共に幅広の橋となっていったという経緯があった。
(新しく幅広の橋を作る、ということにならなかったのには「災害復旧予算」縛りの影響があったようだ)
右の画像は、電子国土の
「国土画像情報」から引用し
た冠着橋の航空写真。
(1974〜1978年撮影)
上記年表中の「第二段階」
までが完成し、県道指定され
た段階の貴重な写真だ。
一車線幅の「斜路」が河川敷
に降り、「河川敷道路」が
“へろへろ”と土手へ向かっ
てゆく様子が写っている。
(画像にカーソルオンで
注記を表示)
また、現在では川の流れていない第一段階部分に、確かに本流があったことも分かる。
現在は、第二・第三段階部分に川が流れており、かなり移動している。
「つぎはぎ」冠着橋の秘密は、水害と、その復旧の歴史にあったのだった。
まとめとして、簡単なイラストと共に
冠着橋の変遷をGIFアニメーションでまとめてみた↓
注1:川の位置は不正確(実際は右岸側へ移動)。
注2:第一段階の竣工年は1968年とする資料もあるが、銘板の表記1969年を採用。
撮影の為、右岸に置いたままの自転車へ戻ろう。
現橋を横目に、真新しい桁と橋脚たちが開通を待つ。
大型車も通行可能な、立派な橋になる予定だ。
(現橋は幅3,0m 重さ6,0t制限)
スタート地点の右岸に戻ってきた。
だんだん広くなっていく橋も、やはり奇妙だった(笑)
視点を変えて、右岸の下流側から「段差」を眺めてみる。
これまた、凄い眺めだ(!)
冠着橋、改良の年輪をしばし眺める。
橋の手前に設置されている案内板(前編冒頭ではあえてスルー)。
幅が半分以下に狭まる衝撃は、
この看板では表しきれていない程のモノがあるように思う。
新・冠着橋完成後、現在の冠着橋は撤去されるようなので、
段々に狭まる橋を体験したい方はお早めに・・・。
まだ、もうしばらく現役で頑張る
現存最古の部分、ワーレントラス・冠着橋の写真で締めとしよう。